われから(1/13)若妻、夫にモヤモヤする
(一)
八畳の座敷に、屏風が六枚立っている。枕の先には桐製胴の火鉢と煎茶の道具がある。煙草盆はローズウッドで、キセルは接続部のラオ管が朱色だ。凝った仕様である。枕カバーの派手な絵柄から枕の紅色の房まで、普段からの趣味が大幅に反映されて、部屋は絢爛に溺れている。照明台の灯りは微かだ。
妻は、火鉢を引き寄せた。火の気はあるだろうか。夜に入ってから庶務担当の女性が埋めて持ってきてくれた桜炭の、半ばは灰になって、おこし切らず埋めておいて黒いまま、冷えているものもあった。キセルを取り上げて、一つ二つと煙を吹いて耳を立てた。今この部屋の軒はしに乗り移って開き戸の上を歩いてゆく、猫の声がする「あれはタマじゃないのか」
ああこの霜の夜に屋根をつたって、いつかみたいに風邪をひいて苦しそうな喉をするのだろう、あれもやっぱりいたずら者だとキセルを置いて立ち上がった。女猫を呼ぼうと小さなぼんぼり提灯に火を移して、普段着にしている八丈染めの羽織をしどけなく肩にかけた。丈長のそれは学生達が使いはじめて流行っていた。ちりめんの腰紐はエメラルドのようなあさぎ色で、特別に美しく見えた。
踏めば冷たい板の間に裾を長く引いて、回り縁の端の小窓から顔をさし出してタマよ、タマよ、とふた声くらい呼んで、恋に狂って飢え渇く身は主人の声も聞き分けぬ。身に滲みるような濡れたような声で大屋根のほうへと鳴いてゆく。もう、言うことをきかないわがままものめ、どうでもしなさいと捨て台詞を言って思うともなく庭を見ると、漆黒の闇におおわれて白も黒も見分けられない中、山茶花の咲く垣根を洩れて学生部屋の戸の隙間から僅かに光が仄めくのは「お、千葉はまだ寝てないな」
小窓を閉ざして寝室に戻ると、もう一度立って菓子棚からビスケットの瓶を取り出して、清潔な紙に置いて紙をひねり、ぼんぼりを片手に縁側に出た。天井の鼠が「がたがた」と暴れて、イタチでも入ったのかキキッという声が鋭い。前を照らす燈火の影が揺れて、廊下の暗闇は住み慣れた家のことで恐ろしくも何ともなく、秘書も派遣さんも夢のただなかに、奥様は学生の部屋へとお入りになられた「お前はまだ寝ないのかい」
障子の外からそう声をかけて妻がすっと入ってゆくと、室内の男は読書中の脳内を覚まされて、思いがけないような呆然とした表情が面白くて、奥様は笑って立っていた。

コメント
コメントを投稿