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樋口一葉作品現代訳、目次

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樋口一葉作品、現代訳 目次 各ページへリンクしています たけくらべ 1896(明治29)年1月完結 代表作 1/5 (一~三)遊郭の町、真如と美登里 2/5 (四~六)祭りの日 3/5 (七~九)真如と美登里、過去と未来 4/5 (十~十三)雨 5/5 (十四~十六)旅立ち 大つごもり 1894(明治27)年12月発表 ブラックな職場で、ヒロインはけなげにがんばる (大つごもり=大みそか) ゆく雲 1895(明治28)年5月発表 思いを寄せた彼女は、木石の人であった わかれ道 1896(明治29)年1月発表 みんなみんなどこかへ行ってしまう にごりえ 1895(明治28)年9月発表 ナンバーワン嬢の愛と野望 (出世作です) 十三夜 1895(明治28)年12月10日発表 若妻の葛藤とその愛 われから 1896(明治29)年5月発表 わたしから始めたことで、殻は割れた 闇桜 1892(明治25)年3月発表 デビュー作です ブログトップへ

われから、目次

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われから 樋口一葉 初出:1896(明治29)年5月10日『文藝倶樂部』「第二卷第六編」博文館 全13話 約36,000字 ※サブタイトルは筆者によるものです (一)若妻、夫にモヤモヤする (二)わたしから (三)しかしこれは実は、DNAレベルでのことなのであった (四)母に何が起こったか (五)そうなりましたか (六)サイコパス登場、母の母がヤバすぎた (七)恐れていた事が (八)そして町子 (九)その孤独 (十)学生千葉に何があったか (十一)聞いてしまった (十二)ついにきた (十三)割れた殻 樋口一葉作品現代訳、目次 へ

われから(1/13)若妻、夫にモヤモヤする

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(一)  霜の降る夜が更けてゆく。吹く、というほどでもない風が、横の開き戸の隙間から入って枕元に届く。障子がかさこそと紙の音を立ててものがなしく、寂莫としている。旦那様は留守だ。  寝室の時計が十二の音を打つまで、妻はどうしても眠ることができず、寝返りを繰り返すうちに少しイライラしてくる。  どうでもいい現実の諸事情から、旦那様が去年の今頃には「コウヨウカン」に通い詰め入り浸るようになり、ご自身は隠しなさったけれども、外出着のお袂から縫い取り縁のハンカチを発見した時の憎さ。  ガチガチに詰めて詰めて、詰め抜いてもう今後は絶対に行きません、同室のサワキの発言のイとエを取り違えることはあってもこの約束は絶対に守ります、かんべんしてくださいと謝罪しなさっていた時の気分の爽快さ。ここ数か月のイガイガが落ちて、胸のすくほど嬉しく思いましたのに、またかよ最近折々のお泊りである。水曜会とかいうのの方々や、なんとかクラブのお仲間にやんちゃなお方が多いからそこに引っ張られて自然に身持ちが悪くおなりになった「朱に交われば」ということをお花の師匠様が口癖にしておられたけれど本当にあれは嘘ではないことだ、昔はあんなふうな口先の人ではなく、今日はどこそこで芸者を呼んで、こういう不思議な踊りを見てきたとか、おなかが痛くなるような面白いことをもう真面目な顔でおっしゃったものだけれど、今日この頃の性格のたちの悪さはなんだ。憎たらしいくらいにお利口さんなことばかりお言いあそばして、わたしのような世間知らずを手の平の上で丸め込んで、全くもってつかまえようのないお方だ、ああ今晩はどこにご宿泊で、明日はどういう嘘を言ってお帰りになるのか。夕方にクラブに電話をかけたら三時頃にお帰りとのこと、また吉原の式部嬢のところじゃないか、あれだって縁切りとかおっしゃってからはや五年、旦那様だけが悪いのではなくて、季節のお届け物など、ニクイ配慮を見せるからお気持ちがつい浮かれておのずから足も向こうというものだ、全くビジネス嬢とはムカつくものだとだんだんと考えごとが増えてくるといよいよ寝られんで、妻は後ろ前に掛けていたちりめん生地のカイマキをはねのけて、山梨産郡内織の布団の上に起き上がった。  八畳の座敷に、屏風が六枚立っている。枕の先には桐製胴の火鉢と煎茶の道具がある。煙草盆はローズウッドで、キセルは接続部のラオ管が朱色...

われから(2/13)わたしから

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(二)  机はどこにでもある白木製で、そこに白い木綿布をかけ、百貨店のペン立てに中国の晋から唐までの楷書体手本の小冊子とか、リス毛の書道筆とか、ペンとかナイフとかも一緒に入れて、首の欠けた亀の子型の水入れに赤インクの瓶がひしめいて、歯磨きの箱がオレもと領土を主張して割拠状態にある、その机に体重をかけて洋書を開いている。年齢ははたち位で三まではいかなくて、五分刈りの丸い頭で顔は長くなく角ばってもいなくて、眉は濃くて眼は黒目がちだ。全体に男前のほうなんだけどいかんせんダサい。ゴボウと呼ばれるその根のように細い縦の縞模様のワタを入れた半天に、何も考えのない白い木綿の帯だ。青い毛布を膝に置いて、前傾姿勢になって両手で頭をしっかとおさえている。  奥様は無言でビスケットを机の上にのせた。おまえ夜更かしをするならするようにして、寒さしのぎをしておいたら良いのに、湯沸かしは水になって、火といったらホタルの火のような、よくこれで寒くないねえ、余計なお世話だけど私が熾してやりましょう、炭取りカゴをここへ。  学生は恐縮して、いつも無精をいたしております、申し訳のないことで、と有難いながらも戸惑って籠を差し出すと、自身は中皿に桃を盛った姿で「これは私の趣味なの」と炭を入れはじめた。  自己満足でもある好意のしるしで蛍火を慎重に挟み上げて、積み立てた炭の上に載せ、近くの新聞を三回四回と折って、隅の方からそよそよとあおいだ。いつしか火はこれからそれへと移って、パチパチと勢いよく響く。青い炎がひらひらと燃えて、火鉢の縁は少し熱くなった。夫人は何か仕事をしたかのように「千葉もあたって」と少し押しやって、今夜は特に寒いですよね、と言って指輪の輝く白い指先を、藤の蔓で編まれた火鉢のふちのところにかけたのだ。  学生千葉はさらに恐縮して、これはどうも、これは、と頭を下げるだけであった。実家にいた時期には姉という人が母親の代わりに面倒を見てくれた、その頃その時を思い出して、そもそも奥様の派手なつくりと田舎者の姉上と、似たところなど一切ないけれど、高校の試験前に徹夜を続けていた時にはこんな事を言って、こんな仕草をして、さらには蕎麦がきをつくってくれて、あったまりなさいと言ってくれたこともあった。懐かしいのはその昔で、有難いのは今の奥様の思いやりだと、普段から世話になっていることもあって、張り気味の肩も縮...

われから(3/13) しかしこれは実は、DNAレベルでのことなのであった

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        ( 三)  落ち葉を焚いている煙が流れてくるのかそうではないのか、庭の木立をかすめて裏通りの町屋のほうへと毎朝たなびいてくるのを、ほら金村の奥様のお目覚めだといつも人がうわさをする。しかし習慣は恐ろしい。朝食前の一風呂は、これが終わるまでは箸も取れず、一日おこたることがあれば終日気持が尋常でない。物足りないような感じがする。  そうは言っても聞く人からしたらお洒落な人の物好きと思うような事で、自分としてはまったく仕方のないクセをつけて今さら面倒と思う時もあるが、使用人の人達がよく分かっていてご指示がなくても芝の枝を折って火に焚べ、お加減がよろしゅうございますと朝の布団に報告するので、もう止めましょうと何度も思いつつもやはり変わらない贅沢なイベントだ。ふるいに残った米粒を入れたぬか袋で磨き上げて、出るとさらに白菊のように化粧を濃くする。これも今さらやめられなくてそんな美肌になった。  年齢を言えば二十六だ。遅咲きの花でも枝先で萎れる頃だけど、服装が良くて元々の美しさも兼ね備わって、五つ位は若く見られるのは得なお生まれなのであろうか。お子様がいないからと美容師のトメさんが言ったが、いれば少しは落ち着くのか。今だに少女のスピリットが抜けなくて、お歯黒に代わって富裕層妻の流行となった金歯、その口元でああしろこうしろとそれっぽく、わらわらといる家内の人々に指示を出すものの、ご主人様を勧誘して日本橋十軒店にお人形を買いに行くとか、一家の妻のする事には思われない。頭巾で目から下を覆ってショールを肩にまとい、夫君と共に川崎大師へ参詣の途中などは、駅に集結する人々からあれは新橋の夜の女性ですか、どこの方であるのでしょうかと囁かれて、奥様とも呼ばれる身分ながらこれがけっこう嬉しくていつしかそんな好みになった。一つにはルックスがそうさせるのだ。  目鼻立ちから髪のかかり方、歯並びのきれいなところまで、DNAとはよく言ったものである。これはお母さんそのままの生き写しなのだ。父上というのは赤鬼の与四郎といって、十年前までは強烈に 目を 光らせて生きていたものだったが、人の生き血を搾っていたその報いであろう五十代にも届かず突然の脳溢血、一晩でこの世の年貢の納め時となった。葬儀は造花でダイナミックに飾られて見事な送られ方ではあったが、見物の人々からはつまはじきの扱いで、ど...

われから(4/13)母に何が起こったか

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(四)  この世に鏡というものがなければ、自分の顔の良いも悪いも知らなくて、分相応に気持は安らかだ。六畳一間に楊貴妃も小野小町もひそませて、美しいエプロン姿で奥ゆかしく日々を送るだろう。淡くただよう女子の心を揺さぶるような他人の称賛に、思わずカアアと赤く上気して、昨日までは放っておいた髪の毛をつやつやと結びあげ、化粧道具を取り上げて見ると、どうだ眉毛も生え続いている。隣りから剃刀を借りて顔をつくってゆく時の気持ち、そもそも見てくれの浮気になって、襦袢の袖も長いのが欲しく、半天の襟の厚手だったところが糸ばかりになったのをさびしがる思い。  与四郎の妻の美尾にしても、一つには世間がそう評価したのだ。ステータスの高さはなくても誠実な夫の心情が嬉しくて、六畳四畳の二間の家を金殿とも玉楼とも承知して、いつだったか四丁目の薬師寺で買ってもらったニッケルシルバーの指輪を、大切そうに白魚のような指に嵌めて、馬の蹄で作った飾り櫛も、本物の鼈甲を世間の人が喜ぶくらいに喜んだものだった。けれど見る人ごとに褒められて、これだけの容貌が埋もれ木とはどうにも惜しいことだ、外に出ている人であるならおそらく京都島原花街の、ナンバーワン美人ですよ、比較になりませんよとか、言葉には課税されないんだと自分が面白いからと他人の妻を評論するバカ者もいた。豆腐を買うんだとオカモチを下げて表に出れば通りすがりの若者に振り返られ、惜しい女性だよ服装がちょっとなどといってどっと笑われる、思えば絹でなく綿の安い銘仙織地は糸がよれていて、色の褪せた紫の羊毛メリンスの細い帯、月30万待遇の圏外者の妻としてはこれより上の装いなどあるべくもないが、青春の女心にはやるせなく、タガの緩んだオカモチにしたたる豆腐の水なのか、ふと袖先をおさえたのであった。  心がどうにもゆらゆらして、襟元袖口だけが目に入る。  それにそれに、この前の年だった。春雨が晴れたあとの一日、今日しか見られない花の全盛期に、上野から隅田川まで一キロあまりを夫婦連れで楽しく歩いた。普段にはないできるかぎりのビジュアルをつくった。とっておきの一張羅といっても夫は黒い紬の紋付の羽織、妻は博多の帯を一筋だけ締めた。前日に甘えて買ってもらった黒塗りの駒下駄で、たとえ足裏部分が南部盛岡製のコピーモノであってもそんなの分からないから嬉しくて、お出かけしたのだった。  それ...

われから(5/13)そうなりましたか

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(五)  与四郎の気持ちは変わらなかった。一日も百年も同じという日々を送っていたが、その頃から美尾のようすはとにかく不審であった。ぼんやりと空を眺めてものの手につかない奇妙さ。与四郎が気を付けて事態を見ると、まるで恋愛に心を奪われた人のようで、お美尾、お美尾と呼ぶと何よと答える言葉の力の無さ、日々はどうでも義務のように送って体はここに心はどこの空をさまようのか、物事の一つ一つが気にかかるが、我が妻を他人に取られて知らないのは夫だけと後ろ指をさされるのも口惜しいので、ホントに本当にそんなのあったらと恐怖の思考までも思い詰めて、美尾の分身になったかのように見守った。  けれどもこれだという証拠もなくて、ただうかうかともの思うようで、ある時しみじみと泣いて言った。お前様、いつまでこれだけの賃金いただいていらっしゃるつもりですか、お向かいの屋敷の旦那様は、昔は大部屋にいた方でしたが自己啓発というのであのご出世で、馬車に乗ってのお姿はどんな髭武者だって立派っぽく見えるではありませんか、お前様も男でしょう、少しでも早くこういった古服にお弁当さげる事をやめて、道を行けば人が振り返るくらいの立派なお人になってください、私に竹の皮包みを持ってきてくださる誠実があれば、お役所帰りに夜学なり何なりして、どうか世間の人に負けんように、いっぱしの偉い方になってください、お願いでございます、私はそのためなら在宅とかもしてお惣菜もののお手伝いはします、お願いしますと心からの涙を流して、この無意味な生計をあげてゆくと、与四郎は自分が愚弄されたんだと思い腹立たしくて、お前のためをの夜学ネタは俺を留守にして自分の快楽を考えたからだと一途にくやしくて、どうせ俺はこんないくじなしだ、馬車とか考えたこともない、今後も人力車引くか分かったものじゃないから今のうちに自分のおさまりどころを考えて利口で仕事のできる、インテリでイケメンで、年も若いのに乗り換えれば一番だろ、向かいの旦那もお前のビジュアル褒めているらしいと聞いたぞと、ロクでもない事をむしかえして、怠け者だなまけものだ、俺はナマケモノの意気地なしだと大の字に寝そべって、夜学などとんでもなく翌日は出勤するのさえ嫌がって、一ミリもお美尾のそばを離れんぞというのだった。  ああ、お前様はなぜそんなに聞き分けてくださらんのと情けなく、互いの気持ちはそわそわとする...