われから(13/13)割れた殻

 十三

 色々と物事を考えたせいで、町子には時々発作を起こす癖がついた。

 激しい時には仰向けに倒れて、今にも絶え入りそうに苦しい。最初のうちは皮下注射など医師の手を待っていたが、日ごと夜ごとに度重なると、力のある手で強く抑えて一時をしのぐということとなった。これは男性でないとできないことであり、そうなった時には夜であれ夜中であれ、やがては千葉を呼び立てて反り返る背中を抑えさせた。硬派一筋の律儀男、身を挺してのその介護は人々の目に異様に映った。しのびやかなささやきはやがて無沙汰になるものか、隠れ家のような六畳間を人は奥様の癪部屋と呼び、乱行あさましいかのように扱ううち。見る目がそうなのかこの間のことが不審に思え、さらには霜の夜の優しさや羽織の話さえそこに加わって、話は大きく大きくなったんだな。

 跡なき風も騒ぐ世に、忍ぶが原の虫の声。露ほどのことも顕われて、奥様マジで悲しい立場となった。


 座敷回りのフク。かねてから何となくそのつもりでいた奥様おさがりの紬の王様本場結城だ、あれこそ我が物よと頼みにしていたのもむなしく何かと千葉の役に立つのならとこれを新年用に仕立てたのを持って行かされた、その恨みは骨髄にまで到達していた。そこからの見る目は横にか逆さにか、美容師のトメ子さんをつかまえて珍事ただいま出来の面持ちでいつもの口車クルンクルンと回したので、この電信がどこまで届いたか、100メートル毎に噂は増幅されたんで、いつしか恭助の耳に入った。

 穏やかならん事に胸が騒ぐ。家つきならずはほどこすべき道もあるけど、浮世の聞こえ、これを別居として引き離すことはいかにもしのびない気持ちがある。だからとこのままさし置くんなら内政の乱れが世間の批判の的になって、浅からん難儀が現在の立場に降りかかったらいかさまになせばよ、とあれこれ悩んだ。

 我儘もそのまま、気性もそのまま、何を事々しく咎め立てなどするんかよ、金村の妻と言って世に恥ずかしきことないだろよ、とは思うけど、さし置きがたい詮議はとにかくもやかましく、親しい友人たち連れ立っての勧告に今日は今日はと思い立ちながら、なおもその事に及ばずして過ぎていった。

 年の立ち返る次の日から松の内が過ぎたらと思い、松を取り去れば十五日くらいのうちにはと思う、二十日も過ぎて一月は無為に、二月は梅にも心のはやることなく、来月は小学校の定期試験だと飯田町の方に笑顔を向けて共に急ぐのを見ても、心中は楽しくなく、家の様子、町子の処遇、どうするんだ、とばかり思う。

 谷中に知人の家を買って、調度も万端に収めさせてそこへと思うが、町子の生涯の哀れさは言いようもなく、暗涙にくれては我が身の不徳を思い知る筋もないではないが「今は」と思いを絶って四月の初め頃、世間は花に春の雨降る夜だ、別居の旨を言い渡したのだ。

 そうして千葉は放免された。石を抱いて汨羅の川に入って言った詩人屈原ではないが、悲嘆は何かあったはず。大河の水は清くないその名を負って、永代発の汽船に乗り込む帰国の姿を、まさしく見たぞと言う者もいた。


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 悲しいのはその夜のことだった。車の用意から何まで整えさせたあと、言うことがあるこちらへ、と夫が言うのに、今さら恐ろしくて書斎の外にいると、今夜からあなたは谷中へ移ることに、この家を家とは思わないように、たち帰れるものと思うな、わけは自分で知っているはず、すぐ行けという。

 それはあまりのお言葉、私に悪いところがあるならどうして苦言をお言いにならない、とつぜんのお言葉は聞きませんと泣くのを、恭助は振り向いて見ようともせず、理由があるからこそ普通でないこともするさ、問題を一つ一つ掘り起こしても仕方がない、車の用意もしてあるし、ただそれに乗り換えるだけだと言って、つと立って部屋の外に出てゆくのを追いすがって袖を取ると、離さないか不埒者と振り切るのを、あなた様どうしてもそうなさるのでございますか、私を浮世の捨て者になさいます気ですか、私はひとり者、世間に助ける人はない、この小さな私をお捨てになるのに大した事情はないはず、見事に捨ててこの家をあなたのものにしなさる気か、とってみなさい、私を捨ててみなさいよ、思うところがございますとハタとにらみつけると、突きのけて振り向きもせず。

 もう会わないぞ、町子。


(われから、完)



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