われから(11/13)聞いてしまった
十一
今年も今日、十二月の十五日だ。世の中が押し詰まってきて、人々が大通りを、慌ただしく行き交う。勝手口は出入りの商人や、歳暮の持参者で賑わっている。気の早い家では餅を搗く音さえ聞こえるけれど、この家では煤取りの笹の葉が座敷に零れ落ち、藁だけで作った「冷や飯草履」が廊下のあちこちに乱れ散っている。雑巾がけをする者、畳を叩く者、家内の調度品を磨いて回る者がいる。振る舞われた酒に酔ってお荷物になっている者もいる。是非お申しつけ下さいと出入りの人々が、お手伝いお手伝いと煩わしいのを半分はお断りして、薄いブルーグリーン「瓶覗き」色の手拭いをそれ、と切って配ると、一同が手に手にそれをかぶる。姉様かぶり、唐茄子かぶり、頬かぶり。吉原かぶりをする者もいる。
主人の恭助は朝から外出しており、代わって指示を与える妻、町子であった。着物の裾の端を片手に、友禅染めの長襦袢を長く引きずって、赤い鼻緒の草履は麻の裏地だ。あれだ、これだ、と仰せ付けている。
ひとしきり終わっての午後、お茶菓子が山のように搬入されて「大皿鉄砲撒きだ」「分捕り次第だ」とアナウンスがあり、町子夫人はしばし二階の小部屋で休憩して、気疲れから解放された。彼女は「血の道」が強かった。胸苦しさが耐え難くて枕と小型の掻巻で仮眠をとる。小間使いのヨネの他に、誰もそのことを知る者はいなかった。
とろとろとして目覚めると、枕元の縁側で男女の話し声がする。それほど遠慮する感じでもなく、ここの旦ジョンが、奥ションがと、タクシー会社の休憩室で言うようなのは、奥様がここにとは夢にも思わんのだな。
一人は座敷周りのフクの声だ。丁寧にていねいにとおっしゃるけれど、一日仕事にどうしてそうは行き渡られない、隅ずみ隈ぐまやっておいてもやり残しはあるんだから、目につくところをざっと仕事して、あとはどうにでもするよ。それで丁度いい加減に疲れてしまう、そんなにあなた正直で勤まるものか、とばかにしたように言った。ほんとだよと言う、相手は茂助のところの安五郎の声だよ「飯田町のお波のことを知ってるか」
そう聞かれてお福は、もう百年前からと言わんばかりに、それをご存じないのはここの奥様お一人で、知らぬは亭主の逆パターンだね、私はまだ見たことないけど色の浅黒い面長で、品が良いと言うじゃないですか、あなたは親方の代行でお供を申すこともあるよね、拝見したことあるかと聞くと「見た」
石段か格子戸に鈴の音がするとお坊ちゃんが先に立って走ってくる、続いて現れるのがその人だ、髪がきれいなのを櫛で巻いて、すっぴん寄りの薄化粧で、襟当て付きの前掛け姿とカジュアルで、あらあなた、とか言うじゃないか。するとここのがデレッとされて、久しくご無沙汰をした、申し訳ない、とか何かで入口の敷居に腰をかける、その人が駆け下りて靴を脱がせる。見られないほど睦まじいと言うのはあれのことだ、旦那が奥へ通るとちょっと戻ってきて、ご同行お疲れさま、これで飲み物でもと言って、効かせておくんだよね。あれがお前、素人だからすごいよ、と誉め讃えた。
素人も素人で、旦那様が最初の人だったと言うじゃないですか、もう十何年の間柄で、坊っちゃんの年も今年で十か十一にはなるでしょう、事情が悪いのはここの家には一人もお子さんがなくて、あちらには立派な男の子ということだから、先々を考えるとお気の毒なのはここの奥様だ、どうもこれも授かりものだから、と一人が言うと、仕方がない、先代の大旦那が最大限に搾取した身代だから、他人のものになるといっても道理だろう、だけれどお前、不誠実はここの旦那だろう。そう言った。
男性は皆あんなものだ、気が多いからと、フクが笑い出すと、悪く当てこすりなさる、耳が痛いじゃないか、おれはこう見えても不義理と土用の梅干しはしたことのない人間だ、奥さんをだまくらかしてお妾のところへつぎ込むような不人情はしたくてもできない。あれだけ腹の太い偉い人ではあろうけど、考えればここの旦那も鬼の性分だ、二代続いていよいよ根っこが張るよと、聞く人なさ気に遠慮のない声の高さで、フクもいつもの調子で相槌を打って、もうひと働きやっておこう、安さんは準備なんかをお願いします、私はもう一度ここを拭いて、次はお蔵だといってシュッシュッと雑巾がけを始めた。
町子はただこの壁一枚を、生命線にしていた。
空けずにいこうか、顔を見られるのがつらい、と思っていた。

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