十三夜、その二「調子に乗りやがって」
嫁いでから七年の間、夜になってから訪れたことは今までなく、また手土産もなく一人歩きで来ることなど一切なかった。思いなしか服装もいつもほどキラキラしていない。久しぶりに会えた嬉しさでそれほど気にはならなかったが、夫からの伝言というもの一つの言及もなく、無理に笑顔でいるがその奥でどこかしおれている。何か事情がある。父は机の上の置き時計を眺めて「もう10時になるな」
関は泊まっていっても良いのか、帰るのならもう帰らないといけないぞ、と遠くから見るような親の顔を娘は今更のように見上げてお父様「私はお願いがあって出てきたのです」
どうか聞いてくださいとキッとなって畳に手をついた時、はじめてひとしずくの悲しさをこぼした。それは何層にも重なっている。
父は穏やかでない表情を動かして「改まって何だ」と膝を前に進めた。
私は今夜限りで原田には帰らない、その決心で出て参ったのです。勇の許可で参ったのではなくて、あの子を、太郎を寝かしつけて、もうあの顔を見ない決心で出て参りました。私の手でなければまだ誰の子守りでも承知しない、あの子をだまして寝かして夢の中に。私は鬼になって出て参りました。
お父さんお母さん、察して下さい。私は今日まで原田という人についてお耳に入れたことはなく、勇と私の関係を人に話した事はありませんけど、百回も千回も考え直して、二年も三年も泣き尽くして、今日という今日はどうしても離婚を認めて頂こうと決心の気持を固めました。どうかお願い致します離婚を認めて下さい、私はこれから在宅仕事でも何でもして、亥之助の片腕にもなれるよう心掛けますから、生涯一人で置いてください。
ああと声が出るのを上着の下の袖で強く押さえた。水墨画の竹の幹が、紫に滲んで見えて切ない。いったい何があったのかと父も母も距離を縮めた。
今までは黙っていましたけど、私の家の夫婦差し向かいを、半日見ていただければ大体お分かりになるでしょう、ものを言うのは用事のある時にいきなり申しつけられるだけで、朝起きてご機嫌を伺うとふと横を向いて、庭の草花を不自然に褒める、腹は立ちますが夫のなさることだからと我慢して私は何も言い争ったことはありませんけれど、朝ご飯をあがる時からお説教が止まらず、使っている方たちの前でいちいち私自身の不器用不作法をお並べになり、それはまだまだ辛抱もするわけなんですが二言目には「教養がない」教養がないと落とすのです。
それはたしかに華族女学校の椅子にもたれて育ったわけではなく、間違ってはいないのですが、同僚の皆さんの奥様方のようにお華とかお茶とか和歌だとか書道とかいって習い学んだこともないので、そのお話のお相手はできませんけれど、できないなら内緒で習わせて下されば済むことです。何も表立って実家の低さを言い触らしなさって、使用人の女の方達にそうと分かるようなことをなさらなくても良さそうなものです。
嫁いでちょうど半年位の頃は、関よ関よと立てて下さったけど、あの子が生まれてからというものまるでお人が変わりまして、思い出しても恐ろしいのです。私は真っ暗な谷底に突き落とされたようで、暖かい太陽の光というものを見たことがありません、
はじめのうちは何か冗談で、演技で冷たく接するのかと思っていましたが、結局は私に飽きてしまわれたので、こうしたら出てゆくか、ああしたら離婚を言い出すかと、モラハラにモラハラを重ねるんでしょう。お父様もお母様も私の性格は知ってくれている、たとえ夫がそういう大人の社交場に狂っても、お気に入りをお囲いになっても、そういうことに嫉妬する私ではない、女中さん達からそんな話も聞こえますけれどそれだけ仕事のできる人です、男性ならそのくらいはある、部屋着と外着の区別には気を付けて不快にさせないよう心掛けていますのに、ただもう私がすることであれば100パーセント面白くないと思っていて、箸の上げ下ろしに、家の中が楽しくないのは妻のやり方が悪いからだと言うのです。
それもどういうことが悪いか、どこが面白くないのかと言って聞かせてくれるのなら良いですが、ひたすらに詰まらん下らん、分からんやつ、とても話し相手にはならない、言ったら太郎のシッターとして置いてつかわすんだとか上から目線でおっしゃるだけです。夫ではないです、あの方はマジ鬼畜でございます。
ご自分の口から出ていけとはおっしゃりませんけど私がこんな弱気者で太郎が可愛いばっかりに、何でもお言葉に反論せずただはいはいとご指導をうけたまわっておりますと、プライドも根性もない使えないやつ、そこがすでに気に入らないんでとかぬかしておられる、だからといって多少なりとも自分の思うところを伝えてやれば、それをとらえて出ていけと言われるのは確定です。
お母さん、私は出てくるのは何でもないんです。
肩書だけの原田勇に離婚されたからといって後悔など夢にもしませんけど、何にも知らないあの太郎が、片親で残されてしまうかと思うと、プライドだの根性だのまったくどうでもいい、お詫びしてご機嫌取って、しょうもないことでも恐れ入らせて頂き、本日まで何も言わず忍耐してまいりました「おとっさんおっかさん」
私は運が悪いですと口惜しさ悲しさ溢れ出て、予想だにしなかったことを話したので両親は互いの顔を見た。そんな大変なことだったのかとぼうぜんとして、しばらくは話すことができなかった。
母親は子供にあまいものである。聞いた事ことごとく身にしみてくやしくて、お父さんは何と思うか知りませんが「そもそもこちらから貰って下さいと頼んで行かせた子ではない」
ステータスに問題ガー、とかなんちゃら学歴ガー、とかよくそんな勝手なことが言えたものです。彼ら忘れたかもしれないが、私たちは日付まではっきり記憶している。お関が17才だった正月の、まだ門松も取っていない7日の朝だった。元の猿楽町のあの家の前でお隣りの小さい子と羽根突きをして、その子が突いた白い羽根が通り掛かった原田さんの車の中に落ちて、それをお関が取りに行った、その時に初めて見たとか言って、人を介してとにかく貰いたがる。
ご身分が釣り合いませんし、こちらはまだほんの子供で、稽古事など何も身に付けておりませんし、支度といっても現状この有様ですからと何度断ったから分からないけれど、なにもうるさい義母や義父がいるわけではないし、自分が欲しくて自分が貰うのだから身分もなにも言う事はありません、お稽古事はこちらに来てから十分にさせられるからその心配もいりません、ともかく下さりさえすれば大事にしておきますから、とそれはそれは火が点いたように催促をして、こちらから頼んだわけではないが支度まで先方で整えた、言えばあなたは恋女房です。私やとと様が出入りを遠慮しているのも勇さんの身分を恐れてではない、おめかけに出したのでもなく正当にもセイトーにも、お百度参りをさせて貰ってきた嫁の親なのです。大威張りで出入りしても差支えはないが、二人が立派にやっているのにこちらはこの通りの冴えない生活だから、あなたの縁を頼って旦那の援助を受けもするかと他人様に見られるのが残念で、やせ我慢じゃないけどお付き合いだけはご身分相応に尽くして、普段は愛する娘の顔をも見ずにいるのです「それを何だバカバカしい」
親なし子でも拾ってやったように大げさに、モノができるのできないのとよくそんな口が利けたもんだ。これ黙っていたら際限もなくエスカレートして、その構図に乗っけてもらってるのを当たり前と思うようになります。まずは女中さん達の前で妻の威光が衰えて、けっきょくはあなたの言うことを聞く者もなくなり、太郎を育て上げるのにもその母親を見下すような気になられたらどうするのか。言うべき事は毅然として言って、それを駄目だと文句を言ったら何だ私にも帰る家がありますと言って出てくればいい、そうじゃないのか、ホントにバカバカしい大体それほどの事を今日という今日まで黙っているという事がありえない、あまりにも奥様が従順だから調子に乗り過ぎたんだろ、聞いただけでも腹が立つ、もうさあ遠慮しているには及びません、身分がなんだってんだ父もある母もある、年はいかんが亥之助という弟もいるんだからそんなブラックな中でじっとしているには及ばない、なあオトーサンいっかい勇さんに会ってきっちり言ってやったらようござりましょと母は荒ぶって、今後のことなどどうでもいい。
父親は先ほどから腕を組んで、目を閉じていたが「ああ母さん、むちゃを言ってはいかん」
俺もそんなのはじめて聞いて、どうしたものかとまだよく分からない、お関のことだから並大抵のことではそんなふうに言わないだろうから、よほど辛くて出てきたようだけど、それで今日は御主人はご不在なのか、何か特別な事があったのか、ついに離婚だとでも言われて来たのか。落ち着いてそう尋ねた。
「夫はおとといから家には帰っていません」
五日六日と家を空けるのはいつもの事です。それほど珍しいこととも思いませんけれど、出がけに服の揃え方が悪いといってどれだけ謝っても聞き入れなくて、それを脱いで叩き付けて、自分で洋服に着替えて、ああオレくらい不運な人間はいない、お前みたいな妻を持ったのがと言い捨ててお出になりました。なんていうことなんでしょうか一年三百六十五日モノを言うこともなくごくたまに言われるのがこんなひどい言葉を言われて、それでも原田の妻と呼ばれたいのか、太郎の母でありますときれいな顔でいる心か、わたしはわたしの意味が分かりません、もういやだもうわたしは夫も子供もありません結婚しない昔と思えばそれだけ、あの何も分からない太郎の寝顔を眺めながらも置いてくるほどの心になってしまったからにはもうどうでも勇のそばにいることはできません、親はなくても子は育つと言いますし、私のような運のない母の手で育つよりは、次の奥様でもおめかけ様でも気の合う女性に育てていただければ、父親も多少は可愛がって後々あの子のためにもなるでしょう、わたしはもう、今夜限りでどうしても帰ることはいたしません。
きっぱりと綺麗に言った。けれど断ち切っても断ち切れない我が子への思いに、声は震えた。
父は溜め息をついた。
無理もない、居づらいんだろう、困ったことになったもんだなとしばらく関子の顔を眺めていたが、大丸まげ金輪の根を巻いて、黒いちりめんの羽織を当たり前のようにかけている我が娘、いつの間にか奥様風に整っている。その彼女をただの結び髪に結い直させ、木綿銘仙の半天にたすきがけで水仕事をさせる、そんなことにどうして耐えられるのか。
太郎という子供もいるのである。一時の腹立ちで百年の運気を取り逃して、世間の嘲笑を受け、おのれはかつてのサイトウカズエ斎藤主計の娘に戻ってしまえば、泣いても笑っても再び原田太郎の母と呼ばれることがあるはずもない。夫に未練はなくても今の苦しさを恋しく思う気持は湧きおこるに違いなく、こうして美しく生まれたことで不幸になっている、分不相応の縁のせいでどれだけ苦労をかけたのかと「いやお関」
こう言うと父が薄情で汲んでくれんのかと思うかもしれんが、決してお前を叱るんじゃない。境遇が違えば考え方もしぜんに違っていて、こちらが心から尽くすつもりでいても受け取り方によっては不快に思うこともあるだろう、勇さんにしてもああいう論理的で、知的な人物であり教養も高い。やたらとキレまくってくるわけではなかろうけど、世間的な評価が高くてやり手とかいわれているのは、えてして相当にやっかいなわがまま人間なんだ。
外では何事もないように切り回しているけど、職場の不満をわざわざ家まで持ち帰ってくる、そんな的にされてはたまらんだろう。しかしあれだけのご主人なのだ、区役所勤めのお弁当をつくってやるのとは訳が違う、サポートしてもうるさいしむずかしい、そういう夫を機嫌よくしてやれたらそれは妻だけの業績だ、見ていても分からないが世間で奥様と呼ばれていてもその人達の誰もが面白楽しくしているのではないはずだ、孤独だと思うと悲しくもなる、しかしこれが責任なんだ。
特にこれだけ出自の違いがあるわけだから人一倍の苦労はもっともなことで、お袋などは寛容なことを言うが、イノが今の所得を獲得できたのも結局は原田さんの紹介ではないかと思う。七光りというけど十光り位はしていて間接の恩まで着ろと言われても困るだろうが一つは家族のため弟のため、太郎という子もいるわけで今日までの忍耐があってこの先もできないという事はないとは言えない。離婚の成立は良くても太郎は原田のもので、こちらは斎藤家の娘なので、一度縁が切れては二度と顔を見に行くことは出来ない、同じ不幸に泣くなら原田の妻として大泣きせよ、なあ関子そうじゃないか、納得できたら何事も胸に収めて今日はそのまま帰って、今まで通りにつつましく過ごしてくれ、お前が黙っていても親は察しているし弟も察している、泣くなら一人ひとりでいいじゃないか。
話し終えて彼は目に手を当て、関子はわっと泣いた。私がわがままでした。
離婚だといって、太郎と別れて顔を見られなくなってしまったら生きていても仕方がないのに、ただ目の前の辛いのから逃げたところでどうにもならない、たしかに私さえ死んだ気になればどこにも波風は立たない、あの子もとにかくふた親の手で育てられます。つまらないこと考えてた、聞くの嫌だったでしょう、今日から関子は新しくなって心一つであの子を守ります、そう思えば夫がつらく当たるなど百年でも我慢できそうです、よく分かりました、もうこんな話はしませんから心配しないで下さい。
そういってぬぐうあとから再び涙はこぼれた。母親は声を立てて何て可愛いんだこの娘はと、またひとしきり大泣きに泣いた。曇りのない月もそんな時にはさびしくて、弟が折ってきたすすきが瓶に生けられている。裏の土手に自然に生えていたその穂先が手で招いているようで、どこかはかなくかなしい。そんな夜だった。
実家は上野の新坂下にある。駿河台への道なので、森の木が生い茂る暗闇は心細かったが、今夜は月も明るくて、駿河に出れば昼も同様である。契約先の車屋というものはない家なので、道行く車を窓から呼んだ。納得できたらとにかくも帰れ、夫の留守中に無断での外出だから、それを言われたら言い訳もできんだろう、少し時間が遅くなったけど車ならすぐだ、話はおいおい聞いてゆこう、まず今夜は帰りなさい、と手を取って送り出すようにするのも、事態を荒立てないようにとの親の配慮であった。
関子はここからだと覚悟を決めて、お父さん、お母さん、今日のことはここまでで帰ります、私は原田の妻ですから、夫を悪く言うのは申し訳ないからもう何も言いません、関子は立派な夫を持ちました、弟のためにも頼りになる人です、ああ安心だと喜んでもらえれば私は何も思うことはありません。ぜったいに絶対に不心得などしませんからそれも心配しないでいてください、私の体は今夜から勇のものだと思ってます、あの人の考える通りに何とでもしてもらいましょう。それではもう私は戻ります、亥之さんが帰ったらよろしくお伝えください、お父さんもお母さんもお元気で、次回は笑って来ますんでと、それでも仕方なさそうに、立ち上がった。母親が厚くもない財布を持って出て「駿河台までおいくらですか」と門口の車夫に声をかけるのを、あ、お母さん、それは私がやりますよ、ありがとうございますときちんと挨拶をして、格子戸をくぐると顔に袖を当てた。涙を隠して乗り入れるかなしさ。なかでは父の咳払いが聞こえる。その音も潤んでいた。
(その三へつづく)

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