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わかれ道、目次その他

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わかれ道 樋口一葉 初出:1896(明治29)年1月『國民之友』 上中下、全三章 約八千字 主な登場人物 ※年齢、名前等、多少変更しました 吉三(吉):傘屋で働く二十前の若者(原文では十六才) 京子(お京):二十代後半の女性職人。服飾で生計を立てている(原文では「お京」「二十才余り」) 目次 ※各ページにリンクしています。サブタイトルは筆者によるものです 上《京子と吉》 中《吉三》 下《わかれみち》 樋口一葉作品現代訳、目次へ

わかれ道、上《京子と吉》

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上 「おきょうさんいますか」  窓の外に来てコトコトと枠を叩く音がする。誰ですか、もう寝ましたから明日来てくださいと嘘を言うと、寝てたっていいじゃないですか、起きて開けてくださいよ、傘屋の吉です、おれですと少し強く言う。  いやな子だね、こんな遅くに何を言いに来たの、またお餅のおねだりかと笑って、いま開けるからちょっと待っていてと言いながら、仕立てかけた生地に針留めをして立った。  二十代後半のしゅっとした女性だ。 仕事が急ぎというので、 多めの髪を後ろで結んで、少し長めの黄色い八丈島染めの前掛けにブチこわしの半天をはおって、急ぎ足で玄関におりて格子戸にそった雨戸を開けると「お気の毒さま」  すっと入ってきたのは「一寸法師」と呼ばれている町内の暴れ者だ。傘屋の吉といって、もてあましの小僧である。年は二十前なのだがちょっと見たところは十五か六か、肩幅が狭くて顔が小さく、目鼻立ちはきりっとして聡そうだがどうにも背が低いので人が見下してあだ名が付いたのだ。失礼します、と火鉢のそばにずかずかと進むと、お餅を焼くには火が足りないよ、台所の火消し壺から消し炭を持って来てあんたが勝手に焼いて食べて、わたしは今夜じゅうにこれ一枚をあげなきゃならん、角の質屋の旦那様のお年始着だからと言って針を取ると、吉はふーんと言ってあのはげ頭には惜しいものだ、おれがその初物を着てやろうかと言うと、ばかなこと言って人の初物を着ると出世ができないと言うじゃないの、今から上に行くことができないのじゃしょうがないよ、そんなことを人のところでもしてはだめよと忠告すると、おれなんかご昇進はしたくないんだから人のものだろうが何だろうが着てかぶってやるのがお得だ、お姉さんいつか言ったよね、俺の運気が上がることになったら手織りの服を一式つくってくれると。本当につくってくれるのか。  真面目な顔でそう言うと、それはつくってあげられるようならお祝いものだもの喜んでつくるけどね、私の姿を見なさいよ、こんな格好で他人様の仕事をしている境遇じゃないですか、まあ夢のような約束よと笑っているので、いいよそれはできない時につくってくれとは言わない、お姉さんに運が向いた時のことだ、まあそんな約束でもして喜ばせておいてくれよ、こんな野郎が手織り一式をかぶったところでおかしくもないけどさと淋しい顔で笑う。 「そんなら吉ちゃん、あんたが偉...

わかれ道、中《吉三》

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中  今は亡くなった傘店の先代で「太っ腹のお松」といって一代で身を立てた、女子格闘家のような人物がいた。  六年前の冬のことだ。寺へ行った帰りに角兵衛獅子の子供を拾ってきて、いいよ親方がうるさく言ってきたらその時の事だ、可哀想に足が痛くて歩けないのかと言うと仲間の意地悪なのが置き去りにして捨てていったと言う。そんなところに帰る意味があるものか、ちっともおっかないことはないから私の家にいなさい、皆も心配することはない、なんのこの子くらいの二人や三人、台所に板を並べてごはんを食べさせるのに文句が出るものか、誓約書を書いたとかいっても駆け落ちをする者がいたり持ち逃げするせこい者もいる、気持ち次第なんだ、馬には乗ってみろというやつだ、役に立つか立たないかは置いてみないと分かりはせん、おまえ浜の新網町、あの貧民街に帰るのがいやならこの家を死に場所と決めて勉強しなくてはいけないよ、しっかりやってくださいよと言って聞かされて、吉よ吉よとそこからの頑張り今では防水加工職人「油引き」に、成人三人相当を一人で担当してアニソン混じりでやってしまう技量を見る者は、さすがは見る目があったと故人を称賛するのだった。  その恩人は二年後に亡くなり今の社長もその奥さんも息子の半次も気に入らない者ばかりだが、ここを死に場所と決めたのならば嫌だといってそれでどこへ行くのか。疳癪持ちで筋骨詰まってからなのか人からは一寸法師一寸法師とあざけられるのも口惜しくて、吉よお前は親の命日に焼肉食ったろ、ざまあみろ回りな回りな小仏はなぜ背が低い、親の日に魚食って飯食って、それで背が低いな、後にいるものだあれと同僚の鼻垂れに業務上の借りを返されて、鉄拳にて張り倒す度胸はあるがまことに父母いかなる日に亡くなられていつが精進日とも心得ぬおのれ、その心細さを思っては傘干し場のその傘のかげに隠れて地面を枕に仰向いて伏せてはこぼれる涙をのみこんでいる悲しみ、四季を通じて油で光る、めくら縞の作業着の袖口を振って火の玉のような子だと近隣で恐れられる乱暴者も、慰める人のない苦しさが胸にあふれる。  嘘でも優しく言ってくれる人がいれば、しがみついてとりついて離れたくない気持ちだよ。  仕事人の京子さんは今年の春からこの裏に引っ越してきたのだが物事に才気があって物件内での付き合いも良くて、 傘店は オーナーなのでそこの者には特に気配りを...

わかれ道、下《わかれみち》

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下  十二月三十日の夜、吉三は坂の上の取引先に納品の期限の遅れをお詫びに行って、帰りは急ぎ足だ。手はふところに入れて、履物の先にさわるものを蹴って遊んで、コロコロと転がるのを左右に追いかけて大きな溝の中に蹴落として一人でかかかと笑うのを聞く者はなくて、空のお月さまも煌々と照らしなさる。寒いということを知らないからただ心地よくて爽やかで「帰りはいつもの窓を叩こう」  そう思って横町を曲がると、急に後ろから追いかける人が両手で目を隠してふふっと笑う。誰だ誰だと指をなでて、なんだ京子さんか、小指の蛇がものを言う、おどかしてもだめだよと顔で振り払った。 「憎らしいわね、当てられてしまった」  京子が笑った。  頭巾で顔を覆って柔らかい二重織りの羽織を着ている。目だけを出しているがいつもの彼女ではなかった。京子は、美しく化粧をしていた。  吉三は下から見上げ、そして見下ろして「あなたどこへ行かれたんですか」  今日と明日はいそがしくてごはんを食べる時間もなさそうと言ってたじゃないですか、どこの営業だったのと疑いをかけられて、前倒しのお年始よと言ってとぼけていると、嘘を言ってるよ三十日に年始を受ける家はないでしょ、親戚にでも行かれたんですかと聞くと「とんでもない親戚に行くような身分になったの」  わたしは明日あの裏を引っ越すの、あまり突然だからきっとあんた驚くわよね、わたしも急だからまだ本当なのかと思う、とにかく喜んでよ悪い事ではないからと。  本当か、本当か、と吉は呆然として嘘じゃないのか冗談じゃないのか、そんな事を言って驚かしてくれなくてもいい、俺はあなたがいなくなったら何も楽しい事がなくなってしまうんだから、そんな嫌な冗談はやめてください、ああつまらないことを言う人だと頭を振ると、嘘じゃないよいつかあんたが言ったとおりにすごい強運が馬車に乗って迎えに来たという事態なのであの裏のところにはいられない「きっちゃん」 「そのうちに手織り一式を作るから」そう言った。  いやだ、俺はそんなものを貰いたくはない、京子さんその運というのはつまらんところへ行こうというのではないのか、おとというちのハンジサンがそう言ってたよ、キャリアのお京さんは八百屋の横丁でマッサージをしているおじさんの仲介で、どこだかのお宅に出向されるらしいんだ、いや 新入り雑用という年齢ではないから、社長夫人のお付き...

にごりえ、目次その他

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にごりえ 樋口一葉 初出:1895(明治28)年9月『文藝倶樂部』 にごりえ=濁った川、にごり江、濁り江 全八章、 約二万字 登場人物 お力:ナンバーワン嬢 お高:お力の同僚 結城:お力の本命 源七:過去の男 お初:源七の妻 太吉:その息子 あらすじ 男性相手のナンバーワン嬢お力はイケメンの結城に惹かれる。身の上話で落とそうとするが通用しない。お力に未練を持つ源七。その妻お初は息子と共に心を決める。そして… 目次 (各章にリンクしています。各章のタイトル《》は筆者によるものです) 一 《ナンバーワン嬢お力》 二 《雨の日》 三 《お力と結城》 四 《お初》 五 《苦界》 六 《お力の告白》 七 《妻お初の決断》 八 《エピローグ》 ( 樋口一葉作品現代訳、目次へ )

にごりえ、一《ナンバーワン嬢お力》

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一《ナンバーワン嬢お力》  おい木村さんシンさん寄っていってよ、お寄りといったら寄ってもいいじゃないですか、また素通りしてフタバ屋へ行く気でしょう、押しかけていって引きずってくるからそう思って、ほんとにお風呂なら帰りにきっと寄ってよね、うそつきだから何を言うか分からない、と店先に立って馴染みらしい突っかけ下駄の男をつかまえ、苦情を言うようなものの言い方だが、腹も立たんのか「あとであとで」と行き過ぎる後ろを、少し舌打ちしながら見送る。 「あとでもないもんだ来る気もないくせに、本当に妻帯者になっては仕方がないね」  と店に向かって敷居をまたぎながらひとりごとを言った。 「タカちゃん、かなりぶっちゃけですね。何もそんなに案じるにも及ばない、焼けぼっくいとなんとかで、またよりが戻ることもあるよ。心配しないで、お祈りでもして待てばいいよ」  となぐさめるような仲間の言い方に、リキちゃんと違ってわたしにはスキルがないからね、一人でも逃しては残念よ、私のような運の悪い者にはお祈りも何も効きはしない、今夜もまた受付か、なんたらことだ、面白くもない、と癇癪まぎれに店先に腰をかけて、駒下駄のヒールでとんとんと土間を蹴るのは、二十を過ぎて七つか十か、引き眉毛に造り生え際、おしろいべったりとつけて唇は人食い犬のようで、こうでは口紅もいやらしいものだよ。  お力と呼ばれたのは、中肉の背格好がすらっとして、洗い髪を大きくまとめた新わらの清潔感、首えり元だけのおしろいも目立たない。素からの色白を見てくれとばかりに胸元までゆるゆるにして、たばこに立ち膝の行儀悪さでも誰も注意しないのが良い。思い切りオーバーサイズの浴衣に引っかけた帯は、黒シュス織と何とかのコピー品、緋色の平グケ帯が背中に見えて、言うまでもなくこの辺りの姉様スタイルだよ。  お高というのが、ニッケルシルバーのかんざしに天神返しのまげの下をかきながら、思い出したように「力ちゃんさっきの手紙は出したの」と言う。 「はあ」と気のない返事をして「どうせ来るのじゃないけれど、あれもお愛想さ」と笑っていると、たいがいにしなよ、巻紙3メートルも書いて、切手2枚の大型封筒が、お愛想で出来るものかよ、しかもあの人は赤坂からのお得意様ではないか、ちょっとやそっとのごたごたがあっても縁切れになってたまるものか、お前の出方ひとつでどうでもなるのにちょっとは頑...

にごりえ、二《雨の日》

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  二《雨の日》  ある雨の日のうだうだに表を通る山高帽子の三十男、あれだよ捕まえねば、この降りでもお客様の足止めないぞとお力かけだして袖にすがり、どうでも行かせないですと駄々をこねると、美人だから許される。いつもと違うわけありそうなお客様を呼び入れて二階の六畳間に三味線なしでのしみじみしたお話、年を聞かれて名を聞かれてその次は親元の質問、士族かと言うとそれは言えませんと言う、平民かと問えばどうでしょうかと答える、そんなら華族と笑いながら聞くと、まあそう思ってください、華族のお姫様その手でのお酌、かたじけなくお受けなさいと言ってなみなみと注ぐと、そういう無作法な置き注ぎというものがあるのか、それは小笠原か、何流だと言うと、お力流といって菊の井一家の作法、畳に酒を飲ませる流派もあるし、大皿の蓋でふざける流派もある、いやなお方にはお酌をせぬというのが究極の決まりでござんすと言って臆する様子もないので、客はさらに面白がって経歴を話して下さいきっとものすごいお話しがあるに違いない、ただのお嬢育ちとは思えないどうだと言うと、ごらんなさいませまだ耳のあいだに角も生えませんで、そのように甲羅は古くないと言ってコロコロと笑うのを、そんなすかしてはだめだ、本当のところを話して下さい、素性がだめなら目的でもいいと言って詰める。  むつかしゅうござんすね、言ったらあなたびっくりなさるでしょう天下を狙う木下の藤吉とは私のこと、と言ってさらに笑うと、これはどうもならんそんなにネタばかり言わんで少しほんとのところを聞かしてくれ、いかに朝夕を嘘の中で過ごすからといってちょっとは誠意もまじるはず、ご主人はいたか、それとも親のためかと真顔になって聞かれるとお力悲しくなってわたしだって人間でござんすからに少しは心にしみることもありますよ、親は早くになくなって今はほんとにただの手と足だけで、さようこんな者ですが奥さんにしようと言ってくださるもないではないけどいまだ夫は持ちません、どうも下品に育ちました身なのでこんなことして終わるのでござんしょと投げ出したような言葉に無量の感が溢れて、罪な姿の恋多きには似合わない「一筆そうろう」の気配が漂う。  なにも下品に育ったからといって夫を持てないことはないでしょう、特にあなたのような美人さんなんだ、一足飛びに玉の輿にも乗れそうなもの、それともそういった奥様...